パラ水泳解説
―東京2020に向けて、その魅力を知るー

1、 パラ水泳の見どころ

「水の中は自由」「可能性は無限」「能力も無限」と感じさせる

 浮力を利用した水泳・水中運動は、重度の障がい者から軽度の障がい者まで、様々な障がいがあっても取り組めるスポーツである。リハビリとしての水泳からハイパフォーマンスを見せる競技水泳まで幅が広い。ここでは、「世界パラ水泳連盟(以下「WPS:World Para Swimming 」という)」のルール(2018年―2021年版)に基づく競技水泳を中心に解説する。
 一般的に競技水泳は決められた距離を決められた泳法で泳ぐタイムを争う競技であり、わかりやすい。ところが障がい者の泳ぐタイムは、障がいが多様で、クラス分類された中での競争となるため、何と比べて速いのか、健常者の記録と比較する基準は何なのかが、わかりにくいという側面をもつ。しかし、身体バランスがとりにくい障がいや水抵抗の大きい障がい、ペースを調整できない障がいなどを持つ選手がいかに速く泳ぐ技術を身につけるか、速さが何によって生み出されているのかという少し深い視点から見ると一変する。例えば、現在SB3というクラスにおいて、50m平泳ぎで世界1位、2位を争う日本の鈴木孝幸選手であるが、そのベスト記録は48秒49である。鈴木選手は四肢欠損であり、平泳ぎの身体機能において約40%しか残存していないとも言える障がいである。日本の健常者のトップ北島康介選手の記録は27秒30であり、単純に考えると鈴木選手は1分8秒25で泳いでも北島選手と並ぶという見方も出来る。また、全盲の視覚障がい者が真直ぐに泳ぎ、タッピング棒という合図の棒で頭を叩かれた瞬間にクイックターンをする姿は、人間の能力に限界がないと感じさせる。
 まさに、何故そのような身体の動きができるのか、人間の身体構造を含む泳ぎの科学に興味が沸いてくる
 人間の可能性を追求する様々なパフォーマンス、その姿こそ、パラ水泳の見どころと言える。

2、 パラ水泳の概要―五輪水泳とここが違う、ここが見どころー

(1) 全体概要

 水泳競技と言えば、五輪競技では競泳以外に、水球・アーティスティックスイミング・飛込・マラソンスイミングなどもあるが、パラリンピックでは競泳のみとなっている。水泳競技の基本的なことは、WPSの規則で定められている。この規則の中には、競泳以外にオープンウオーター(マラソンスイミング)も含まれているが、他の競技種目は定められていない。このWPS規則は、五輪の水泳競技規則であるFINAの規則を基にして、肢体不自由・視覚障がいなど障がいに対応する動作を認める例外項目等(コードオブエクセプション「CoE」と表記される)を付加して定められている。重度な障がい者では、個人メドレーにおいてバタフライが泳げないことを考慮して150mの個人メドレーといった種目、リレー種目においてクラスポイントによる200m男女のミックスリレー種目などがある。
 知的障がいは、クラスとしては一つのクラスで争われるが、泳法において、スタート以外はFINAの規則と同じである。聴覚障がいは、そもそもパラリンピックではなく、デフリンピックとして別に競技会が開催されている。

(2) 種目

 WPS規則に定められている種目では、オープンウオーター(S1-10 、S11-13とS14対象)は5kmとなっており、世界選手権での実績はあるものの、参加者は少ない。
 競泳において、WPS主催大会では下記種目の中から選定することが可能となっている。これらの種目は、WPS公認大会であれば記録が公認される仕組みである。(適用クラスについての解説は後述)

個人種目 適用クラス
50m自由形 S1 – 13
100m自由形 S1-14
200m自由形 S1-5,S14
400m自由形 S6-14
50m背泳ぎ S1–5
100m背泳ぎ S1-2,S6-S14
50m平泳ぎ SB1-3
100m平泳ぎ SB4-SB9,SB11-SB14
50mバタフライ S2-7
100mバタフライ S8-14
75m個人メドレー SM1-4(短水路、バタフライを除く)
100m個人メドレー SM5-13(短水路のみ)
150m個人メドレー SM1-4(バタフライを除く)
200m個人メドレー SM5-14
リレー
4 x 50m 自由形 最大20ポイントS1–10
4 x 100m 自由形 最大34ポイントS1–10
4 x 100m 自由形 S14
4 x 50m メドレー 最大20ポイントS1–10
4 x 100m メドレー および最大34ポイントS1–10
4 x 100m メドレー S14
4 x 100m 自由形 最大49ポイントS11-13
4 x 100m メドレー 最大49ポイントS11-13
男女混合4 x 50m 自由形 最大20ポイントS1–10
男女混合4 x 50m メドレー 最大20ポイントS1–10
男女混合4 x 100m 自由形 S14
男女混合4 x 100m 自由形 最大49ポイントS11-13
男女混合4 x 100m メドレー 最大49ポイントS11-13

 各国競技団体が開催するWPSの公認大会では上記以外に800m自由形、1500m自由形、200背泳ぎ、200m平泳ぎ、200mバタフライ、400m個人メドレーなども公認される対象となる

(3) 使用できる用具と工夫

 競泳においては、全盲選手での義眼の着用を除いて、義足や補装具の着用は認められていない。
使用できる用具としては、手などが切断している場合に背泳ぎのグリップが握れないため、口でグリップから繋いだ「ひも」などを銜えてスタートすることがある。このため、安全な「ひも」や「タオル」などの使用が認められている。他に視覚障がい者について、折返しやゴールなどの際に壁へぶつかる危険性から、介助者による合図棒などの使用が認められている。
 このような視覚障がい者への合図は、「タッピング」と呼ばれ、このための介助者を「タッパー」合図棒を「タッピングデバイス」と呼んでいる。タッピングについては、安全面からも視覚障がい選手とタッパーとの信頼関係がないとできないものであり、合図するタイミングによっては勝負を左右することがある。この合図棒も泳法にあった軽量で合図しやすいものが求められており、日本では、独自に魚釣り竿に水泳用具のウレタンを加工して製作するなど様々な開発が試みられている。(国助成による筑波大学での開発、株式会社ヤマハでの開発等)

(4) 使用するプールや用具は

 基本的には、FINA公認であるプールをWPS公認プールとしている。50mと25mの2種類がある。異なるところは、脊髄損傷者などが入退水時に身体にすり傷をしないように入退水用のマットを用意することの他、選手の中には、肢体不自由や視覚障がいに加えて聴覚の障がいも併せ持っていることがあるため、光によるシグナルも用意しておくことが必要である。

(5) 競技の方法は

 競技は定められた障がいクラス毎に定められた泳法と一定の距離を泳ぎ、そのタイムを争う。該当するクラスの人数が少ない場合は上位のクラスへ統合されたり、定められたポイントシステムで順位を決めるといった手法をとる大会もあるが基本的にはクラス毎の速い記録で順位が決定される。ただしそのクラスに3人しかいない場合はマイナス1ルールを適用して2位までしか表彰しないといったことも行われる。
 競技規則は、FINA(国際水泳連盟)の規則を基に障がいに応じた例外事項(コードオブエクセプション「CoE」と表記される)として認める規則となっている。
例えば、FINAルールでは平泳ぎやバタフライは両手で壁にタッチすることが求められているが、手部が欠損している場合など障がい上できないことは違反とはならないと定められている。このCoEは選手個人毎に付加されており、泳法審判はこのCoEを見て、違反かどうかを判定する。
 競泳のクラス分類では、自由形・背泳ぎ・バタフライを「S」という記号で、平泳ぎを「SB」という記号で、個人メドレーは「SM」という記号で表さとれる。肢体不自由者においては、「S」と「SM」のクラスは10クラスあり、「SB」のクラスは9クラスとなっている。視覚障がい者は「S・SB・SM」とも3クラス、知的障がい者は「S・SB・SM」ともに1つのクラスとなっている。

(6) 見どころは

 水泳は他のパラ競技と異なり、重度の障がい者から軽度の障がい者まで、幅広く水中でのパフォーマンスを見せることが出来る競技である。一見簡単に泳いでいるように見えても、何故このようなパフォーマンスが出来るのかと驚かされる

3、 競技に欠かせないクラス分け

 パラ水泳のクラス分けでは、自由形・背泳ぎ・バタフライを「S」という記号で、平泳ぎを「SB」という記号で、個人メドレーは「SM」いう記号で表される。
 肢体不自由者においては、「S」と「SM」のクラスは10クラスあり、「SB」のクラスは9クラスとなっている。視覚障がい者は「S・SB・SM」とも3クラス、知的障がい者は「S・SB・SM」ともに1つのクラスとなっている。
 クラスを決めるために「クラス分け」が行われる。肢体不自由の水泳のクラス分けは、3つの段階を経て決定される。1つはフィジカルアセスメントと呼ばれる陸上での身体の動きのテストであり、2つはテクニカルアセスメントと呼ばれる水中動作の確認である。3つは実際のオブザベーションアセスメントと呼ばれるレースの観察であり、この3つを総合して決定される。
 肢体不自由のレース観察においては、選手は100m以上の「S」種目、100mの「SB」種目を泳がなければならない。
 クラス付与にあたっては、そのクラスの確定度合(クラスステータス)も合わせて付与される。国際大会に出場するには、WPS国際クラスを持っておかなければ出場できない。国際クラスの確定度合において記号「C」(コンファームド)は確定であり、記号「R」(レビュー)はしかるべき時期にもう一度クラス分けを実施するという内容である。(「R」には「2021R」など期限がついていることが多い。これは、その年までに再度クラス分けを受けなければならないという意味である。障がいの進行や成長による変化などを見るためにつけられることが多い)
 日本においては、国内の大会や国際大会に出場する前提として国際規則に順じた国内規則に従って公認のクラス分けが行われていて、その確定度合が別途定められている
 クラス分けについては、その判定が、勝利を左右するため課題も多い。2015年8月には、IPCのCEOから「クラス分け評価の過程で意図的な虚偽報告」が行われたとして、各国に注意喚起がなされている。
 また、国際パラリンピック委員会(IPC)においてクラス分けコード(すべての競技のクラス分けに共通して適用される規程と方針)が2017年に出され、パラ水泳についても2018年から2019年にかけて、すべての選手クラス分けがWPSにより見直された。東京2020に向けて実施されたが、2019年12月に発生したコロナウイルス感染症(Covid19)により完了出来ていない)

WPSのクラス表記
クラス表記(S・SB・SM) 障がいの概要
1~10 肢体不自由のクラス。SBでは1~9まで。数字が小さいほうが障害は重度。
11~13 視覚障害のクラス。数字が小さいほうが障害は重度。
14 知的障害

 *日本では、このクラス表記に追加して、聴覚障がいを「15」、障害者手帳を持っているが水泳競技ではWPSのクラス分け規則ではクラスを付与されないものを「21」で表し競技を行っている。

 参考―クラス分けの詳細とルールの例外事項(CoE―コードエクセプション)は別項目を参照

4、 競技会など競技の運営概況は

(1) WPS公認の大会など

 WPS公認大会のレベルは、規則によると次のようになっている。

IPC競技大会 ○ パラリンピック競技大会
○ パラパンアメリカン競技大会
IPC選手権大会 ○ 世界パラ水泳選手権大会
○ 世界パラ水泳地域選手権大会
世界パラ水泳連盟公式競技会
(Sanctioned Competitions)
○ 世界パラ水泳ワールドシリーズ
○ 世界パラ水泳ワールドカップ
○ 世界パラ水泳連盟の定めるその他の世界パラ水泳連盟国際大会(ユース競技大会、IOSD競技大会等)
世界パラ水泳連盟公認の競技会
(Approved Competitions)
○ パラ水泳競技の国際大会
○ パラ水泳競技の国内大会
○ 国内競技連盟公認の競技会
○ 世界パラ水泳連盟により決定されるその他のパラ水泳競技会

 また、開催の年次も次のように記載されてはいる。

周期 競技会
1年目 世界パラ水泳選手権大会(50m)
世界パラ水泳ワールドシリーズ
2年目 世界パラ水泳地域選手権大会(50m)
世界パラ水泳ワールドシリーズ
アジアパラ競技大会
3年目 世界パラ水泳選手権大会(50m)
世界パラ水泳ワールドシリーズ
パラパンアメリカン競技大会
4年目 パラリンピック競技大会
世界パラ水泳地域選手権大会(50m)
世界パラ水泳ワールドシリーズ

 パラリンピック大会の開催は4年に一回で、直近のリオデジャネイロ2016大会では、競技が10日間に渡って開催され、メダル種目は男子80、女子71、混合1 計152の種目で争われた。
 概ね参加選手数は男子340人 女子280人、計620人となっている。
 参加できるのは、クラスステータス「C」「FRD」の選手で、この大会の標準記録を突破した選あった。各国には、選手のランキング等によって参加枠が配分され、その範囲内での参加となる。各種目の3位までにメダルが授与される。

 世界パラ水泳選手権大会は現在では、パラリンピックの前年、翌年と2年に一度開催される。2019年に行われたロンドン2019世界選手権では、クラス分けが3日間、競技が7日間行われた。世界から約75か国、選手約650人、役員約400人 計約1050人が参加、メダル種目 男子82、女子75、混合4 計161の種目で争われた。

 世界パラ水泳地域選手権と認識できるのは、現在ヨーロッパ選手権のみである。

 ワールドシリーズについては、2017年以降毎年開催され、現時点ではドイツ、イタリア、ブラジル、アメリカ、オーストラリア、シンガポール、などで開催されている。
 各国におけるWPS公認大会は、数多く開催されている。

 また切断・車椅子の国際大会、視覚障がい者の国際大会、知的障がい者の国際大会、パラパンパシフィック大会、ユースの大会なども公認大会となっている。その他各国の大会では、国際大会として門戸を開いている大会もあれば、その国の選手のみという大会も多い。

 また、2015年からは試行として、健常者の大会に出た障がい者の記録も公認をする制度が行われたが、2018年以降は、健常者の大会であってもそれぞれ、WPS公認申請をするようになっている。(日本で行っている「神戸市民選手権」が該当)
これは、開発途上国など、パラアスリートのみで大会開催が困難な場合などの救済措置でもあると言われている。

 日本においては毎年、ジャパンパラ水泳競技大会、日本身体障がい者水泳選手権大会(2019年大会から「日本パラ水泳選手権大会」に名称変更)、知的障害者選手権水泳競技大会、春季記録会、地域大会 などが行われている。

 WPS公認も当初は「ジャパンパラ水泳競技大会」のみであったが、加えて2019年現在では「日本パラ水泳選手権大会」「知的障害者選手権水泳競技大会」「春季記録会」「神戸市民選手権」に出場した障がい者の記録がWPS公認となっている。
 日本における大会では、ジャパンパラ水泳競技大会と静岡記録会の参加標準記録が最も厳しく次に日本パラ水泳選手権大会、地域大会となっている。このうち3月に行われる春季記録会はパラリンピックや世界選手権等の日本代表選考大会とすることが多い。

(2) 大会運営を支える組織は

 パラリンピックなどの競技の運営では、クラス分けにおいてはWPS公認のクラシファイアが担い、審判長やスターター、泳法審判はWPS公認の国際審判員が担うが、それ以外の審判員やスタッフは開催国の役員が担っている。開催国の役員は主に健常者の大会を運営する公認役員スタッフであることが多い。欧米では水泳競技の中の一つの部門として障がい者の水泳をとらえていることが多く。健常者、障がい者といったことではなく水泳というスポーツを支える組織となっている。
 これは、パラリンピックのみではなく、世界選手権、地域大会などにも共通している。
 日本においては、行政に依存することが多く、障がい者のスポーツは厚生労働省主導型で地域においても福祉担当部署中心にリハビリテーションの一環として取り組まれ発展してきた経緯がある。
 一方、健常者のスポーツは文部科学省所管で地域においては、教育委員会部署が担ってきた経緯がある。これらのことから、水泳競技団体も公益財団法人日本水泳連盟と障がい者の水泳団体が別々に活動をしてきた。さらに障がい者の水泳団体は、障がい別に分かれて組織をつくり活動してきた経過がある。
 2011年8月にスポーツ基本法が制定され障がい者の取り組むスポーツは、スポーツ振興の一環として2014年度から文部科学省へ移管された。このような動きの中、健常者と障がい者の組織間連携を強くしようとの気運が高まり、水泳においては、身体障がい者水泳連盟、知的障害者水泳連盟、ろう者水泳連盟の三者で話合い、これまでの組織を維持しながら「日本障がい者水泳協会」としてまとまり2014年度から公益財団法人日本水泳連盟の加盟団体となり、連携強化が図られた。
 これらのことから、東京2020に向けての競技役員については、日本水泳連盟所属の競技役員を含めて、WPS公認のL2(レベル2:WPS公認資格、国内競技会を担うレベル)の研修を行い、60名を養成、2018年度、2019年度と実践研修を行っている。

5、 世界のパラ水泳の現状

 世界において障がい者の競泳人口がどれくらいいるのかは、定かではない。数値として把握できるのはWPS登録者数である。2019年の登録選手数は97か国2225人である。内男子1360人女子865人と男子が60%を占めている。   
これに対応する日本選手は122人となっている。最多国はブラジルであり135人となっている。
日本の会員数が知的障がい選手も入れて約1400人でありWPSへの登録が10%未満となっていることから考えると、世界でも10倍の2万人以上が競技人口としているのではないかと推測される

 上位の10か国は①ブラジル135人、②メキシコ126人、③日本122人、④ロシア107人、⑤中国101人、⑥アメリカ99人、⑦イギリス90人、⑧イタリア85人、⑨スペイン74人、⑩オーストラリア67人となっている。 

 (海外―日本の仕組みと異なるところ・・ 地域クラブ 五輪とパラと区別なく 強化 いくつかの国の紹介 ― 準備中)

6、 日本のパラ水泳の推移と現状

(1) 障がい者の社会進出、仲間づくりとして始められた大会

 日本で障がい者の水泳大会が行われた最初は、いつからなのか定かではないが、財団法人日本身体障害者スポーツ協会創立20年史に 1963年(昭和38年)11月に開催された「第1回身体障害者体育大会山口大会」に関連して8月に開催されたと思われる「山口県身体障害者体育大会夏季水上大会」についての記述がある。
 また、神戸市においても1962年(昭和37年)に第1回神戸市身体障害者体育大会が実施されており、水泳競技に67名の参加があったとされていることからなど、1964年東京パラリンピックに向けて、障がい者施策の窓口である福祉事務所を設置している都道府県・政令指定都市を中心に全取り組みが始まったと考えられる。
 これを裏付けるものとして、1963年(昭和38年)5月20日付け各都道府県・指定都市市長あて厚生省社会局長通知「身体障害者スポーツの振興について」がある。この通知では、国として身体障害者スポーツの振興を身体障害者更生援護の一環として積極的に推進することとなった。国の身体障害者体育大会実施要綱に準拠して行われた大会の運営費に補助金を出す、といった方針が出されている。

 1964年の東京五輪のあとに開催されたパラリンピックでは1部をストークマンデビル大会である脊髄損傷者の大会として開催(これが第2回パラリンピック)、2部を日本の国内大会として切断や視覚障がい、聴覚障がい者も参加する大会とした。ここへの参加者は急遽この大会のために、各都道府県や療養所を通じて選手を集めたということが伺われる。
この大会の水泳競技に参加した青野繁夫さんの感想文からも、パラリンピックの機会を知って訓練を初め、選ばれたことが記述されている。
 日本における障がい者の水泳活動は、東京パラリンピックに向けての取り組みと、そのレガシーとしての全国大会の開催から始まったと言える。
 また、1965年(昭和40年)に設立された「財団法人日本身体障害者スポーツ協会」の役割も大きい。1974年(昭和49年)には在宅の身体障がい者を対象としたスポーツセンターが大阪市に開設され。そこで水泳教室が始まり水泳競技人口が増えていった。
 行政主導の大会開催から競技者自らが大会を開催するという気運が生まれたのは、東京パラリンピックから20年、大阪市の障害者スポーツセンターが設置されてから10年を経た1984年であった。
 そのころの、全国身体障害者スポーツ大会は、都道府県などからの代表として競技に出場するが、参加枠数が限られることから一生に1度という制約があった。
 そのため大阪市身体障害者スポーツセンターで活動をしていた水泳愛好家で1981年(昭和56年)9月に「第1回近畿身体障害者水泳選手権大会」を開催。この大会は、近畿を名打ってはいるものの、全国からの参加も可能とし、12府県・政令市から161名の選手が集まり、開催された。そのご、3回大会時に全国組織の設立と大会開催に向けて会議が行われ準備を進めた。1984年(昭和59年)4月8日大阪、静岡、名古屋、滋賀、島根、福岡の水泳クラブ等団体の代表者と兵庫、奈良、千葉や京都の人達が大阪市長居障害者スポーツセンターに集まり「日本身体障害者水泳連盟」の設立総会を開催した。
 1984年9月9日に開催された第1回日本身体障害者水泳選手権大会には、11団体、283名が参加している。
 知的障がい者の競技大会では、1999年に「日本知的障害者水泳連盟」が発足し、2月21日に第1回の「日本知的障害者水泳選手権大会」が東京辰巳国際水泳場で開催され男子151人、女子43人 計194人 が参加している。
 聴覚障がい者の競技大会では、2002年9月に「日本ろう者水泳協会」が設立され、2004年9月5日に「日本ろう者水泳選手権オープン大会」が開催され50名が参加している。
 身体障がい者、知的障がい者、聴覚障がい者と障がい別に団体が設立され、それぞれの大会が開催されているが、身体障がい者の大会には、知的障がい者や聴覚障がい者も参加ができ、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会主催の「ジャパンパラ水泳競技大会」では、これら3つの障がい者が参加できる大会となっている。大会運営などは、それぞれの団体のみでは困難なことから、従来から公益財団法人日本水泳連盟加盟団体の各県水泳連盟などが協力を行ってきたが、2013年10月1日には、3つの団体で「障がい者水泳協会」が設立され、公益財団法人「日本水泳連盟」の加盟団体となり、東京2020五輪・パラリンピックを見据えて、さらなる連携が進んでいる。

(2)日本のパラ水泳アスリートの現状と課題

 日本における障がい者スポーツの取り組みは、1964年(昭和39年)の「第2回パラリンピック東京大会」の前後から、始まったが、先に述べた1963年5月厚生省社会局長通知で明らかなように「身体障害者の更生援護の一環」としてのものであり、通知の留意事項に「競技の記録に重点をおきすぎないよう特に配慮すること」と記載されているように競技性を重視したものではなかった。
 1964年の東京大会は、その報告書の「はじめに」を執筆された 国際身体障害者スポーツ大会運営委員会 会長 葛西嘉資 は 身障者スポーツ大会の意義について、 第1には身障者自身が、まず体力をきたえ、その体力 や機能に自信をもつようになり、明るい希望と勇気を抱くようにすることで、身障者の コンプレックスを解消させること 第2は、一般社会に、身障者の可能性を見てもらって関心と理解を深めること、これは
 身障者の社会復帰に大きなたすけとなる 第3は、スポーツを通じて、同じからだの不自由になやむ人たちが友誼と親睦を深め お互いに励まし合って一人ひとりの生活を向上させること と記載されている。
 つまり、社会参加というよりも、施設への隔離思想から社会へ進出するための 勇気‣自信、理解、身障者同士の励ましの機会 =「社会進出のきっかけづくり」 であったといえる。 それ故に、あくまでも福祉行政の一環として、障害者同士の励ましの機会としてのスポーツであり スポーツを実施する場所も障害者スポーツセンターであり、障害者同士の大会にとどまってきた。五輪を頂点とする体育・スポーツ行政として発展してきた健常者スポーツや欧米のように地域スポーツを中心として、健常者・障害者区別なくスポーツを楽しむ仕組みが発展してきたのとは異なった日本独特の道を歩んできたと言える。

 競技としての取り組みは、1991年からジャパンパラリンピックという大会が開催されていたものの、1999年(平成11年)に財団法人日本障害者スポーツ協会の内部組織として「日本パラリンピック委員会(JPC)」が設立された時期からであり、国際パラリンピック委員会(IPC)が1989年に設立されてから10年を経ていた。
 一方健常者については、スポーツ行政の所管は文部科学省で、地方行政では教育委員会によって主として学校体育を中心に進められてきた。1911年(明治44年)に設立された日本体育協会ではその目的達成のために「選手の競技力向上を図り、コーチを育成する」ことが定められている。この体育協会の関係スポーツ団体に「財団法人日本障害者スポーツ協会」が加盟したのは、2000年(平成12年)であった。この2000年という年は、国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)とが2008年北京大会から協力関係の下、大会を開催することが合意された時期であり、パラリンピックを「エリートスポーツ」として位置づけた年である。

 このように、2000年以降、世界の国々では2008年から始まる「エリートスポーツ」としてのパラリンピックとして取り組みが開始されたが、日本においては、組織としての体裁を整え始めたものの、国の所管から見て、障がい者スポーツは障害者更生施策の一環ということからの転換はなされなかった。
 厚生労働省所管で、障がい者の社会参加としての位置づけから脱却できないまま、選手の発掘から育成、エリートスポーツへの発展という「パスウェイ」の構築ができず推移してききたが、2013年9月「東京2020五輪・パラリンピック大会」の開催が決定され、2014年4月障がい者スポーツの所管が、厚生労働省から文部科学省に移管され、2015年10月スポーツ庁が設置されたことに伴い障がい者スポーツの分野が社会参加のみならず、ハイパフォーマンスを目指す分野が明確化され、五輪と同じくナショナルトレーニングセンターでの活動や助成制度が充実し、強化が行われるようになった。特に、2019年7月ナショナルトレーニングセンターイーストの増設が完成して以降、専用施設としてパラ水泳の利用も促進され競技力の向上が図られている。
 しかし、裾野である都道府県では、組織として未だにスポーツと福祉の分野に分かれていて、競技を目指すパラスイマーに対する強化の支援は弱い
 現状として、競技力を目指す国民体育大会や県水泳選手権大会、市民水泳選手権大会などから排除されたままである。東京2020のレガシーが議論される中、大きな課題と言える。

(3) パラ水泳の競技力向上の取り組み

 競技団体として本格的な選手強化の取り組みは、1996年のアトランタパラリンピックに監督として参加した神戸楽泳会コーチ桜井と当時の当連盟技術委員長中森(中森は当時、東京都障害者スポーツセンター職員であったが、その後、日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会事務局長となる)等によって、世界の動向を見据えて2000年シドニー大会への当連盟への提言「①国際大会への参加選手数の増加②強化指定選手の選定③派遣選手による合宿④ドーピング・健康管理、メンタル等の知識教育⑤リレーチームの参加⑥健康管理スタッフの派遣」から始まった。この提言を受けて、シドニー大会に向けて、当連盟としては①強化指定選手制度の発足と強化合宿の実施②国際大会派遣の充実③指導者研修会の充実④技術委員会の充実に取り組むこととした。
 また、2000年シドニー大会には、その当時神戸市出身でオーストラリア国立スポーツ研究所(AIS)に留学中の生田泰志氏(現大阪教育大学教授)の支援を得、その後も協力を得て、アテネ大会に向けてのパラ水泳科学の取り組み、水泳・水中運動学会へのパラ水泳紹介など早期の科学的視点によるトレーニングを取り入れた選手強化の道筋を築いてきたことが大きい。
 しかし、これらの取り組みは、ボランティアで成り立っている組織基盤も弱い障がい者競技団体には限界があった。
 健常者の水泳競技トップ選手が、組織的なシステムとして学校体育や地域のスイミングクラブから中核拠点へ、そして国立スポーツ科学センター(JISS・NTC)といった中央強化拠点へのパスウェイが構築されているのとは、異なり、発掘をしても強化・育成するための練習場所、指導者など資源がなく、選手個人の努力と、うまく指導者と出会えた偶然性によって出現したアスリートを何とか支える程度に留まってきたのが現状である。

(4) 東京2020レガシーとパラ水泳

 身体障がい者で2020年4月時点に認定されてる強化・育成選手は強化・育成選手は52人であり、パラリンピックでメダルを狙える圏内の選手数名を含め21人の強化選手、22歳未満の育成選手31人がいる。   
 この選手たちは人口の集中する関東圏に多く、ついで、近畿圏、福岡を中心とする九州圏となっている。また指導者は、ボランティア指導者が中心で、歴史的な経緯から、近畿圏域に多く、関東圏、九州圏は少ないのが現状である。
 この選手達の練習環境は、トップの数名を除いては、日常的な練習プールの確保もままならず、コーチ・トレーナー・栄養指導などマルチサポート体制も不十分であり、困難な状況が続いている。東京2020大会のレガシーとして、裾野からエリートスポーツの頂点を目指すハイパフォーマンスアスリートへのパスウエイをしっかりと構築することが、喫緊の課題となっている。そのための、取り組みへの模索が始まったばかりという状況下にある。

 何故、日本では、ハイパフォーマンスアスリートを目指す障がい者の道が閉ざされてきたかというと、皮肉なことに1964年の東京パラリンピック以降の政策にたどり着く。1964年の東京パラリンピックは、行政の所管は厚生省で福祉の一環としての「障害者の社会進出と障害者同士の仲間づくりであった」、文部省所管の五輪とは一線を画していたのである。そのため五輪への道筋である少年団、中体連、高体連、インカレと言った学校部活動から実業団へとつながる五輪への道には障害者は歩めていないのが現状であった。そして、今もこれは続いている。中央では、五輪とパラの垣根を取り払うためナショナルトレーニングセンターなど協働利用が始まったが、パラアスリートはジュニアの大会、中体連の大会、高体連の大会、インカレ、市民大会、県民大会、国民体育大会には出場できない仕組みとなっている。
 東京2020パラリンピックのレガシーとして「共生社会」が語られるが、このような大会にも障害者アスリートが出場する機会が設けられてこそ、真の共生社会となるのだと考える。そのことが、パラ水泳強豪国と戦えるアスリートを生み出すことになる。

【組織・団体リンク】
 日本障がい者水泳協会(公益財団法人日本水泳連盟加盟団体)http://association.paraswim.jp/
 一般社団法人日本身体障がい者水泳連盟 http://paraswim.jp/
 一般社団法人日本知的障害者水泳連盟 http://jsfpid.com/
 一般社団法人日本ろう者水泳協会   http://www.deaf-swim.com/

【参考文献、引用等】
WPS水泳競技規則2018-2020版
パラリンピック 東京大会報告書 1964年 財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会
昭和39年国際身体障害者スポーツ大会競技記録 財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会
障害があってもおよげるよー身体障害者水泳教室10年の実践からー 平成2年4月 桜井誠一編
身体障がい者水泳競技運営指針(クラス分け編、競技規則編)日本身体障がい者水泳連盟
障害のある人々のスポーツ総論 特定非営利法人日本障害者スポーツ指導者競技会 藤原進一郎
日本水泳科学研究会「シドニーパラリンピックへの道」 桜井誠一 

著者 : 櫻井 誠一